火災保険の起源
火災保険はもともと、1710年にイギリスの保険会社サンフワヤオヒス社が創設した保険商品でした。
その後、この概念が欧米諸国へ普及し、幕末から明治にかけて火災保険に関する考え方や知識が日本へも普及し始めました。
日本で最初に火災保険の考え方を紹介したのは、福沢諭吉氏です。
1866年発刊の西洋事情という書籍の中で、彼は火災保険や海上損害保険という「万が一の時に手厚く保障してくれるサービス」の仕組みを解説しました。
福沢諭吉氏は多くの人が理解しやすいようにと、火災保険とは「災難請合いのこと」で、これを欧米ではイシュアランスと呼ぶと紹介しました。
商人が組合を作り、平生無事の時には一定の金を組合へ納め、万が一にも災難が起こった時には組合から大金を出して救済するという仕組みと説明しており、当時から基本的な火災保険の考え方は現在と大きく変わることはなかったとうかがえます。
明治時代に入ると山東一郎氏が日本で初めて「保険」という言葉を用い、これが日本で保険と呼ばれる名称が確立した起源と言えます。
それまでは火災保険のことを請負とか請合い、また担保などと表現することが多かったのですが、以降、少しずつ保険という名称が普及し始めました。
日本ではどのようにして火災保険が始まったのか
明治初頭から火災保険の考え方や仕組みについては、上記の通り日本へ紹介されました。
しかし実際に保険が制度として認められるようになるまでには、一筋縄ではいかなかったのです。
明治14年には調査に基づいて家屋保険法案が提出されたものの、趣旨は理解できても国民の自由精神を国が強制するべきではないとして、法案は頓挫しました。
しかしその後、多くの企業や官僚が火災保険の創立に向けて働きかけた結果、明治21年に初めて火災保険業務がスタートしました。
この時、この業務を担当したのは現在の安田火災の前身となる有限責任東京火災保険会社でした。
その後、火災保険商品を取り扱う企業は少しずつ増え、明治24年には明治火災が創業し明治25年には日本火災が創業しました。
現在の火災保険
火災保険は現在、たくさんの火災保険会社からラインナップされています。
現在では家屋の所在地によって保険料が変わるだけでなく、建築状態や環境、また家屋の用途などによって、火災保険料が細かく算定されるシステムが確立されています。
更には、消火栓やスプリンクラーなどの消防用設備を設置している家屋に対してはディスカウントされた保険料が適用されるなど、多くの人にとって加入しやすい制度が完備されています。
それだけではなく、火災保険は日本の風土に合わせて進化し続けています。
昭和39年には地震による損害を補償するための地震保険が発足し、多くの国民により大きな安心感を与える存在となっています。